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夏至


今日は夏至。

私の名前の「至朗」は夏至の日に生まれたことと、ネクラな父親のようにならずに明朗に育ってほしいという母親の願いを込めて命名されたのだと、子どものころに聞かされた覚えがある。

そうは言っても日本列島中央部のこの時期は梅雨で、あまり明るい天気にならないことが多い。今日も「雲が多くところどころでにわか雨や雷雨がある」といった予報が出ている。職場でも、いいこともあるのだが気分を暗くすることもつぎつぎ起こる。すぐに解決しそうもないがだれにも言えない、そういうことがあると精神衛生によくない。

いっぽう、25年前のハノイの夏至は青空だった。梅雨がないため死ぬほど暑く、学年末試験が終わった直後の誕生日に友人とビールを浴びるほど飲んだら、夜中に熱を出してそのままデング熱を発症し、しばらく入院するはめになった。ほかにもトラブルや失敗がたくさんあった。他人に迷惑もかけた。それでも、私の気分は青空だった。無心の明るさがあった。

花よりケーキ(自己紹介・補遺2)


新学期の授業が始まってから寒い日が続いていたが、今朝は家の近くでツツジの開花がぐっと進んだ。大学時代、京都の高野川沿いに下宿して毎日自転車で大学やバイトに通っていたのだが、川端通りのツツジはみごとで、あれからツツジが大好きな花になった。

今夜は家に帰ると、ラ・フォル・ジュルネ・ド・ナントの録画をやっており、ショパンのスケルツオ1番にエチュードの作品10のほう、それにピアノ三重奏曲などをやっていた。高校時代のポリーニのエチュードを聴いたときの衝撃は今でも忘れられない。

今夜のおかずは初めて作ったタイのあらだき。すこし前に間違えてみりんを2本買ってしまったために、このところみりんを使う料理をよく作っていたところへ、タイのあらを安売りしていたのでチャレンジした次第。結果はなんとか食べられるものができた。P1030304.jpg

これは料理自慢などというものではなく、ものぐさ+不器用な私が作れるのはあくまで「一人暮らしで飢えずにすむ自己流簡単料理」に限られる。私の英語と同じレベル、と言えばわかる同僚・知人もいるだろう。今さらきちんと英語を習う余裕などないが、しかし今や国際発信からは逃げられない。今さらきちんと料理を習う暇はないが、しかしこの年で外食や「中(なか)食」ばかりでは健康・経済の両面でよろしくない。普通の家庭料理で作り方を知らない品はいくらでもある。私の味覚も、ちっとも洗練されてなどいないし鋭敏でもない。ただ、「やらねばならない」と思えば日本の受験英語がけっこう役に立つのと同様、ムリヤリ自炊をしようと思えば、家庭科で習った栄養の知識は有用だろう(電子レンジなど便利な道具がある現在、大事なのは技術よりも、基本的な栄養バランスなどの知識であるように思われる)。

それにしても、私はきわめて食い意地が張った人間だという自覚がある。激辛料理などを別にすれば、「あんまり好きでない」食べ物はあっても、「食べられない」ものは基本的にない。ただし、胃腸がそれほど丈夫ではないのに食い意地が張ってやたらに食べたがるものだから、食べ過ぎで下痢や胃痛に苦しんでまわりをあきれさせた経験は数限りない。この年まで好きなものを食べていて、糖尿とかコレステロールとかの問題はほぼ皆無だから親に感謝しなければならないのだが、自分の胃腸の弱さを呪うことはときどきある(たとえば碑文に興奮するわれわれベトナム研究者を「変態」よばわりしたIさんが、ハノイはMホテルのチョコレート・ビュフェで、すぐに満腹する私を尻目にむしゃむしゃ食べつづけているのを見たとき)。

「好きな食べ物」と言われてもたくさんあって答えられない。野菜も果物も肉も魚も、イモもマメもご飯もパンも麺類も、思い出すと食べたくなるものがいくらでもある。中でも甘い物は、和洋中華その他を問わず、特別に好きである(酸っぱいもの、辛いものなどが嫌いなわけではない)。それからバターとクリーム。あんことバターと生クリームは、人類の三大発明ではないかと思う。その意味で、甘い物を毎日たくさん食べるという「文明」を知らずに育ち、私が朝食のパンにホイップクリームを絞ると聞いて顔をゆがめる院生のWさんは、とてもかわいそうな人である・・・Wさん、アルハラならぬ「甘ハラだ」などと怒ってはいけない。これは「文化相対主義」で理解すべきではなく、「発展段階」の問題なのだ。したがって私は、カフェスア(コンデンスミルク入りのベトナムコーヒー)を私よりずっと甘く、ほとんど真っ白にして飲む同僚のUさんを、深く尊敬する。

今朝も私は、イングリッシュマフィンにたっぷりのバターとマンゴージャムを塗り、ホイップクリームをかけて頬張ったのだった。ああ、快感。P1030292.jpg



ダオ・チーランとは?~自己紹介補遺

ペンネーム「ダオ・チーラン」の由来を書くのをすっかり忘れていた。「ダオ・チーラン先生の雑学講座」でも書かないままだったので、このへんで説明しておこう。

私の名前の漢字をベトナム読みするとダオモック・チーラン(Đào Môc Chí Lãng)になる。4音節の名前は少ないので1音節省いて、ダオ・チーランにした。その際に姓の2文字目を省いたのは、日本を除く漢字文化圏では姓は漢字1文字の方が普通だからである。中国に伝わった14世紀のベトナム人の著作『安南志略』を「上海楽善堂」から翻刻したことでも知られる、日中をまたにかけた商売人兼文化人だった岸田吟香が、中国で「岸吟香」と名乗っていた故事がある。

(おまけの雑知識)
なおベトナム人(多数民族であるキン族)の姓名をカタカナ表記する際には、ふつう音節ごとに区切るが(例:グエン・ティ・ビン)、それは通常の3音節(漢字3文字分)の名前のうち、真ん中の音節が「男女の区別」や「同姓の一族の中の下位区分」を表すなど独自の機能をもつ場合があり、中国人(漢民族)のように姓と完全に区別された名前の一部を構成するとは限らないからである。したがって私が教科書や事典項目を書く場合には、本名でなく官職名や号などで完全に二文字一組になっているもの(例:バオダイのような皇帝号、チャン・フンダオのフンダオのような貴族の称号)には、わざわざ区切りを入れないことにしている。中国人や日本人の漢字2文字の名前をベトナム読みでカタカナ表記する場合も同様である。

なんでもかんでも音節ごとに区切りを入れとかえって煩雑になるのは、地名をハ・ノイ、ニャ・チャン、ダ・ラット、ハイ・フォン、サ・パなどとやったら読みにくくてかなわないことからもわかるだろう。

略歴・業績~ダオ・チーランの確信的マイノリティ人生

本名:桃木至朗

1.略歴・所属
・1955年、横浜市生まれ。横浜翠嵐高校、京都大学文学部卒業、同大学院文学研究科修了(東洋史学専攻)。1986-88年ベトナム・ハノイ大学実習生
・京都大学東南アジア研究センター助手、大阪外国語大学タイ・ベトナム語科専任講師・同助教授(ベトナム語・文化)、大阪大学教養部助教授、同文学部助教授などをへて、2001年から大阪大学大学院文学研究科教授(世界史講座・東洋史学専門分野)、2010年からCSCD(コミュニケーションデザイン・センター)教授となり文学研究科兼任

2.研究分野と役職・主要業績
(1)中・近世のベトナム史(10~18世紀)を中心とする東南アジア史→2009年に「中世大越国家の成立と変容-地域世界のなかの李陳時代ベトナム史」で広島大学から博士(文学)の学位取得、2011年に『中世大越国家の成立と変容』を大阪大学出版会から刊行。
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・おもな役職・仕事:「タンロン皇城遺跡の調査保存のための日越合同専門家委員会」日本側歴史班班長(2007年~);東南アジア学会理事(2011~12年は現在は教育・社会連携担当);『ベトナムの事典』(桜井由躬雄と共編著、同朋舎、1999年)編集;『新版東南アジアを知る事典』(平凡社、2008年)編集委員会代表など
・上記以外の主要著作・学会発表
“Gia đình của các vua nhà Lý và sự xuất hiện của vương triều phụ hệ, trong ĐHQGHN/TTKHXH-NVQG, Việt Nam học, kỷ yếu hội thảo quốc tế lần thứ nhất, Hà Nội, 15-17.7.1998. tập I, Hà Nội: Nxb Thế giới, tr. 255-272.
『岩波講座東南アジア史別巻 東南アジア史研究案内』(早瀬晋三と共編著、2003年)
Masaaki Shimizu, Lê Thị Liên, Shỉro Momoki “A Trace of Disyllability of Vietnamese in the 14th Century――Chữ Nôm
Characters Contained in the Inscription of Hộ Thành Mountain (II),”『アジア言語論叢』6(外国学研究64)神戸市外国語大学外国学研究所、2006・3、pp. 17-49.
“Sự biến đổi xã hội Đại Việt thế kỷ XIV nhìn qua văn khắc—khảo sát trường hợp vùng Hà Tây, Đại học Quốc gia Hà Nội – Viện Khoa học Xã hội Việt Nam,” Việt Nam học, kỷ yếu hội thảo quốc tế lần thứ hai: Việt Nam trên đường phát triển và hội nhập: truyền thống và hiện đại, Thành phố Hồ Chí Minh, 14-16.7.2004. tập I, tr. 77-88, Hà Nội: Nhà Xuất bản Thế giới, 2007.
“Nation and Geo-Body in Early Modern Vietnam: A Preliminary Study through Sources of Geomancy,”in Southeast Asia
in the 15th Century and the China Factor
, ed. Geoff Wade and Sun Laichen, Singapore: NUS Press, 2010, 126-153)

 (2)東・東南アジアを中心とし日本列島も含むアジア海域史→日本史・東洋史(・西洋史)の区別をいっさいしない海域アジア史研究会(1993年創立)の初代代表。この分野で世界初の入門書『海域アジア史研究入門』(桃木至朗・山内晋次・藤田加代子・蓮田隆志編、岩波書店、2008年)の編集代表
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・それ以外の主要著作・学会発表
「南の海域世界――中国における南海交易と南海情報」(『岩波講座世界歴史9 中華の分裂と再生』岩波書店、1999、pp.109-130)
『チャンパ 歴史・末裔・建築』(樋口英夫・重枝豊と共著、めこん、1999年)
“Dai Viet and the South China Sea Trade from the 10th to the 15th Century,”Crossroads 12(1), 1999. pp.1-34
"Mandala Champa seen from Chinese Documents,”in Bruce Rockhart and Tran Ky Phuong (eds.), The Chams in Vietnam, Singapore: NUS Press, 2011.

(3)歴史の教科書、解説、入門書類の編集・執筆と、歴史学の見直しや歴史教育の再建のための評論・解説活動
・帝国書院の「新詳世界史B」教科書と資料集『最新世界史図説 タペストリー』の編集に加わる。
・大学の教育系でなく史学系として随一の組織的な歴史教育の取組である大阪大学歴史教育研究会の代表(2005-09年度、2011年度-)。大阪大学歴史教育研究会
・主要著作・学会発表
『世界史リブレット12 歴史世界としての東南アジア』(山川出版社、1996年)
『世界史を書き直す・日本史を書き直す-阪大史学の挑戦』(懐徳堂記念会(編).和泉書院、2008年)
『歴史学のフロンティア-地域から問い直す国民国家史観』(秋田茂・桃木至朗(編著)、大阪大学出版会、2008年)
『わかる歴史・面白い歴史・役に立つ歴史-歴史学と歴史教育の再生をめざして』(大阪大学出版会、2009年)
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“Revitalizing Historical Research and Education: A Challenge from Osaka,” Plenary Panel Session: Educations of World History: A Comparative Perspective, 1st Congress of AAWH (Asian Association of World Historians), Osaka, May 31, 2009.
“How Can Research and Education in the History of Vietnam and Southeast Asia Develop in Northeast Asian Countries?: A Case Study in Japan,” Third International Forum on Historical Reconciliation in East Asia: Promoting Interest in and Understanding of History of Southeast Asia including Vietnam, Seoul, 27-28 August, 2009.
「歴史学と歴史教育の再生をめざして-阪大史学の挑戦-」(日本西洋史学会第60回大会・大シンポジウム「世界史教育の現状と課題」2010年5月29日、於別府市ビーコンプラザ)

3.学会・社会活動
・所属学会:東洋史研究会、史学研究会、東南アジア学会、東南アジア考古学会、歴史科学協議会、遊戯史学会など
・社会活動:京都大学東南アジア研究センター学外研究協力者(1989~96年、98年~)、トヨタ財団「隣人をよく知ろう」プログラム選考委員(1999~2003年度)、文化遺産国際協力コンソーシアム「タンロン遺跡保存に係る専門委員会」委員(2006年~)、「堺歴史文化交流会議 共同研究会」委員(2007-09年)ほか



 

なぜベトナム(史)の研究を?-自己紹介その3

P1020207ランソンの昼食

「なぜベトナム(史)の研究を?」という質問をされた回数は数え切れない。拙著『中世大越国家の成立と変容』(大阪大学出版会、2011年2月)の後書きにも嫌味を書いたが、この質問のウラにあるのは「あなたはとても変人ですね」ということだ。表面上のベトナム観光、料理、あるいは投資のブームにもかかわらず、ベトナムに関する専門知識は、あいかわらず「超マイナー」の域を出ない。

変人であることは、いまさら隠そうと思わない。しかも以下の話を、私の友人や学生はさんざん聞かされているのだが、ブログを新設した機会に、あらためて理由を書いておこう。

1955年生まれの私はベトナム反戦運動に参加したことはないが、「社会」や「世界」に関心をもちはじめる中学・高校時代は、ベトナム戦争の時代だった。なにしろ横浜に住んでいながら首都圏の大学には行かない、野球の応援はパ・リーグなどなど、万事あまのじゃくで多数派・主流派にくみするのが大嫌いな私が、「ベトナムや東南アジアの歴史は、日本にほとんど専門家がいないらしい」などと聞いてしまったものだから、すっかりその気になって、京大に入って東南アジアの歴史を研究しようと決意してしまったのである。日本国民はジャイアンツのV9などという暴虐に苦しんでいる。ベトナム人民はアメリカ帝国主義の侵略に苦しんでいる。両方闘わなければならない。
 *注 もうひとつベトナムを選んだ理由があった。同じ高校に通った私の姉は帰国子女で英語が得意だったのだが、フツーに日本で育った私は英語が大の苦手で、地元の公立中学はともかく、受験名門校であるは高校では成績が悪かった。ある試験でとくにひどい点をとったとき、口の悪い英文法の教師が「君、本当にあの桃木さんの弟?」と尋ねた。純真な(?)少年の心は深く傷つき、同時にアメリカへの憎しみがふつふつとわき上がってきたのだ。「自分をこんなに苦しめるアメリカは、ベトナムで負けるがいい」。大学入試でも英語の点はまったくお粗末だった。10年あまりのちベトナムに留学して、英語もできないような人間は何語を勉強してもしんどい、ということを思い知ることになるとは、そのときには予想できなかった。

「ベトナム戦争から入った」研究者には近現代史や革命史を専攻した方が多かったのだが、もともと日本の戦国時代など前近代史に関心が強かった私は、大学では前近代史か歴史地理が勉強しようと考えていた。実は入学時点では邪馬台国の研究にかなり心ひかれていたのだが、2回生に上がったばかりの1975年4月30日に実現したサイゴン解放、これで私はベトナム史から離れられなくなった(当時は2回生の終わりに専攻を決定する仕組みだった)。その秋には、ジャイアンツが史上初の最下位になった。1975年は、わが人生最良の年だった。

その後も他人のやらないマイナーな研究を貫いていたら(いまや人気の「海域アジア史」も、最初は同様だった)、私よりもっと頭脳優秀な人たちを差し置いて、世間で有名大学といわれる大学の教授にまでなってしまった。しかし、ベトナム(史)を選んでよかったと思うのは、そうした卑俗な理由だけではない。

高校生の頃すでに、ベトナム料理はとてもおいしい、アオザイ女性はすばらしく魅力的だ、などの報道がなされていた。後者は残念ながら「深く研究」するチャンスがなかったが(ジェンダーと権力に関する論文も書いたりして、魅力のカゲにある強さは理解したつもりですが)、食い意地の張った私にとって、たしかにベトナムは食の天国だった。一般の料理やフルーツだけでなく、餅菓子などスイーツがおいしいことは、甘党の私にはこたえられない。この記事をかいているあいだにもヨダレが出そうである。ほかにも音楽や美術、旅行など、ベトナムのユニークさやすばらしさを味わえる分野はたくさんある(残念ながら鉄道はたいしたことがないが)。歴史学(東洋史学)の分野でも、どうしてもっとベトナム史を研究したがる学生が増えないのか、不思議でならない。






自己紹介その2、もしくは鉄男の思い出


勤務先のパンフレットの教員紹介の欄に学生へのメッセージを書くようになっており、以前は「社会性のあるオタクになれ」と書いていた。

子供のころ、家の近くに京急神奈川新町の車庫があった。電車の絵本が大好きで、自分でも絵を描いていた。
そこから飛んで高校時代、尊敬する多才・多趣味な親友Aに、鉄道ピクトリアルや乗りつぶしの旅を教えられた。
そのころは、急速な没落の時期に入ろうとしていた国鉄はイメージが悪く、私鉄ファンだった。

大学に入って京都に暮らし、路面電車が好きになった。旅行も好きだったので休みには全国を旅したが(海外旅行はまだ容易でなかった)、北九州も福岡も、京都も仙台も、つぎつぎと路面電車が廃止されていった。ヨーロッパではすでにLRTが当たり前になりつつあったのだが、日本ではまだ路面電車は郷愁の対象でしかなかった。

自動車が王様、路面電車どころか鉄道そのものが過去のものという論調と世の中の仕組み。組合が(公務員が)悪いから国鉄は大赤字になったのだいう論調と、高速道路には国費を出すが鉄道建設はすべて借金でやらせる政策。私は気づいた。巨人が王様だという論調、子どもたちに巨人しか知らせない仕組みと、同じじゃないか。

こうして院生時代には、「乗り鉄」や時刻表を読む以外に、鉄道趣味誌に乗る各路線や会社の経営状況の記事、それに「都市交通年報」を愛読書するようにになった。あるべき便利なダイヤを考えるという趣味もできた。地方交通の状況を見るために国鉄に乗って全国をめぐった。ベトナム留学直前の1986年9月末に旅客営業をしていた国鉄の路線は全部乗りつぶした。

国鉄は分割民営化で便利になったかもしれない。しかしLRTは富山以外ではちっとも実現しない。首都圏以外の大手私鉄の乗客は、20年前の三分の二とかいう水準に落ち込んでいる。ローカル鉄道に至っては十分の一が当たり前だ。貨物輸送のモーダルシフトもほとんど進まない。そこに、膨大な累積赤字に目をつぶった高速道路無料化などというたわごと。(1)石油が無限、(2)しかも1960年代なみの安さ、(3)日本の人口密度が1桁低く排気ガスや騒音による環境負荷がたいしたもんだいにならない、こうした条件がそろわない限り、21世紀に自動車利用促進策など採ってはいけない。なぜ税金を使うなら鉄道を便利にすることに使わないのか。

かなり長い間、日本の学校の社会科や地理の教科書では、「デトロイトの自動車工場」があこがれの的として紹介されていた。こういう教育を変えねばならない。私の趣味はここでも、社会性を帯びざるをえない。

プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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