政治学者・白井聡さんが語る 安倍政権の今

https://mainichi.jp/articles/20180517/dde/012/010/004000c
おとといの毎日新聞夕刊。

前半は4月に出した『国体論 菊と星条旗』の中身の紹介。
天皇のかわりに米国を戴く戦後日本の「国体」。自民党を中核とする日本の政治権力は「『アメリカに従う政治的理由を見つける』ことに狂奔してきた」。
<本物の奴隷とは、奴隷である状態をこの上なく素晴らしいものと考え、自らが奴隷であることを否認する奴隷である。さらにこの奴隷が完璧な奴隷である所以は、どれほど否認しようが奴隷は奴隷にすぎないという不愉快な事実を思い起こさせる自由人を、非難し誹謗中傷する点にある>(読点の位置を一部修正させていただいた)。
こういう日本の支配層は朝鮮戦争の終結を嫌がっている。

後半は安倍内閣支持層の分析。「『統治機構が実はこんなに頼りになる』というファンタジーを信じたい人たちが大勢いるようです」
「安倍さんは名言を残しました。『何かをやっている感じが大事だ』と。これはまさに今日の時代精神です。本当にやっているかではなく、そう見えることが大事だと」。

最後の部分は30年前の「社会主義ベトナム」とよく似ている気がしてならない。あのときも政府と党は社会主義建設と祖国防衛に向けて常に「何かをやっていた」。それは全然上手くいかなかったのはすべてアメリカ帝国主義や中国覇権主義のせいだった。
いまの日本政府も「女性改革」「働き方改革」などなど常になにかをやっている。ひどくまずいことがおこったら、それはすべて北朝鮮や中国の工作員のせいだ。。。

とここまでで終わって、そういう支持層を上から目線で軽蔑するだけだったら、インテリはひどいしっぺ返しを受ける。歴史の常識がそこまでは教えてくれる。しかしどうすればよいか、とても厄介だ。

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最初に思いついた替え歌

確定申告の受付方法が変わって税務署で延々と時間を費やしている間に、ふと大昔の歌の替え歌など思いついた。
下に書いた歌よりこっちを先に思いついてFBに書いたものである。いや、別に国税庁長官とか理財局のことなど言ってませんよww

君の改竄は 果てしなく多い
だのになぜ 歯を食いしばり
君は消すのか そんなにしてまで

君のあの人は 今も薄笑い
だのになぜ 何を隠して
君は消すのか あてもないのに

君の忖度は 絶望へと続く
朝にまた スクープが出るとき
馬鹿殿はまた 暴走はじめる

言葉遊び

一字違いで大違い

昔の日本で企業が競ったカイゼン
今の日本で役所が競うカイザン

やるはずだったこと 改憲
やってしまったこと 改竄

来年あるのは改元
去年あったのは改竄

留学生の皆さん、覚えられますか。

替え歌

若い人はこれの本歌など知らないだろうな。

官僚が夜なべをして
改竄してくれた
野党の追及
きびしかろうて
せっせと消しただよ
官邸に報告とどく
忖度のにおいがした

二番をとばして三番

改竄のスクープ痛い
大臣でも隠せない
×××が落ちりゃ
もうすぐ××××
喚問が待ってるよ
デモ隊の叫びが聞こえる
言い逃れがしみとおらん

とりあえず人名は伏せ字にしておこう。

謹賀新年

今ごろになりましたが、皆さん明けましておめでとうございます。
今年の皆さんのご健康・ご多幸と世界の平和をお祈りします。

で、今年は戊戌変法120周年、テト攻勢50周年。世の中が大きく変わる年になるでしょうか。

ルールと日本人

忙しくて全然記事が書けない(より簡便なFBはなんとか書いてるがブログは面倒くさい。そしてしばらくログインしないと確認キーが必要になるなど余計に面倒になる)。その間に総選挙も終わったし野球などのいろんなイベントもどんどん過ぎていく。

今回の総選挙で問われたのは「ルールにもとづく政治」か「多数決で信任されればルールにこだわらなくてよい政治」かであろう。
そこで日本社会の場合問い直されねばならないのは、
(1)現在の選挙のルールは適切・公正かということ。選挙の勝者は常に「多数の信任を得た」と主張するが、実際に積極的に支持する投票が投票総数の半分以下、有権者全体から見れば20%台というような選挙で「多数の信任を得た」といいうる現在の仕組みは根本的に間違っていないだろうか。その意味で1990年代に「政治改革のための小選挙区制導入」の旗を振った人々にいくらか反省が出て来たのも当然だろう。そもそも小選挙区制支持論の背景にある二大政党制が最高の制度だという考えは、農業は何でもかんでも大規模化すべきだという考えと同様、近代日本が英米に洗脳された(むしろ自己洗脳した)結果に過ぎない。いい加減に夢から覚めるときだ。比例代表制を中心にした選挙制度で「小党分立→政治不安定」に直結していない国があることを、真剣に見るべきだ。
 もう一点、若い人は知らないだろうが、昔はもっと選挙期間が長かった。演説会や討論会がたくさんあった。それに戸別訪問が禁止されている先進国はほとんどない。もし現在の日本の選挙制度が「国民の支持」を受けているとすれば、その国民は「熟議などという面倒なことはイヤだ。選択はなるべく単純にしたい」と考えていることを示す。それは社会主義国などの独裁国家の「形式上の信任投票」としての選挙--社会主義国にもたいていは選挙があることを、皆さんご存じですか?--と限りなく近いのではないか。
(2)そこからかなり飛躍だが、先週の講義で「海外で傍若無人に振る舞う日本人」と「外国人のやり方を過剰に気にしてそれに迎合する日本人」に共通する「国際共通ルール」に関する考え方は何か、という問いを出した。私の答え(同じことをコメントペーパーに書いた学生がいた)は、「外国人と話し合って共通ルールを作るという発想や能力の欠如」である。だから「日本のムラ社会の常識」で突っ走るか、相手にひたすら合わせるかの両極端になる。どちらにしても国際共通ルールは自分の外にある。
 柔道やスキーのジャンプなどがルール変更で損をしてきたスポーツ界で、この問題は比較的広く認識されているかもしれない。国際政治の世界でも同じことはたくさんあるだろう(それが「国難」を招いている)。そして、選挙制度を含む国内政治も同じじゃないだろうか。ルールは(国会という遠いところで)だれかが決める。それは自分のものではない。だから棄権も増える。劇場政治に簡単にのっかる。自分のものではないのはよくないと半分はわかっているところに「押しつけ憲法を自分たちの手で変えよう」と囁かれると引っかかる。。。

「ルールか人治か」という対立を不毛な言い合いにさせないためにも、自分たちでルールを作るという面倒な経験を、国民が積まなければなるまい。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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