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「日本と世界が出会うまち・堺2020」の代替開催について

皆さん、お久しぶりです。暑さでへばっていたダオ・チーランです。
ずいぶん涼しくなったので、FBだけでなくブログにも記事をアップしたいと思います。
さて、毎年恒例の中高生の研究発表会「日本と世界が出会うまち・堺」の今年度の会(11月15日)は中止が決まっていますが、代替イベントを大阪大学歴史教育研究会でオンライン開催することになりました。詳しい案内は同会ホームページに出ますので、皆さんぜひご参加ください。
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世界史教育と専制権力への歯止め(3)

世界史教員が語句だけでなくその意味するところをしっかり教えるべき事柄の例:孫文の「五権憲法」に監察と考試がなぜあるか。それは歴代王朝のシステムをいかに受け継いでいるか。
(ヒント)近代的な意味での三権分立を保証しない(行政権がすべてを従属させる)国制のもとで、権力の腐敗や無能な人間の世襲をそれなりに防ごうと思ったらどんな仕組みがありうるか。
(発展課題)それは現在(2020年5月現在)の日本の政治状況について何を警告もしくは示唆するか。
#検察庁法改正案に抗議します。
え、これを書くのはここじゃない?

世界史教育と専制権力への歯止め(2)

民主主義は常に暴走の危険をもつ。それに対する歯止めの一つが法治主義である。いかなる多数決も法律を無視したりねじ曲げることは許されない。それを押さえつけようとする(法律を自分に自由を与え民を縛るためだけに利用する)政権は「専制」とかdictatorshipとして批判される。
(世界史探求の課題)「東洋的専制」概念について、それを「アジアの実態」「ヨーロッパ知識人が創り出した架空の他者像(なぜ必要だった?)」の両方の面から考察せよ。

世界史教育と専制権力への歯止め

専制的国家権力に対する歯止めとして、ヨーロッパや日本でソリッドな仕組みとして、インドや東南アジア・中国ではもっとゆるやかな仕組みとして歴史的に機能してきた原理に、「中間団体(社団)の法的・制度的・慣習的な自律」と「諸団体の連合・協議体としての国家」という原理がある。「ファシズム」や「社会主義国家」や「開発独裁」も、それを翼賛装置に組み替えることではじめて安定的な仕組みたりえたケースが多い。

(世界史探究・日本研究の課題)第二次大戦後現在までの日本と東アジア諸国におけるこの原理の展開と危機について、現代日本の政治情勢にも注意しながら論ぜよ。

歴史総合の大きな討論課題

歴史総合用の大きな考察・討論課題(「近代化」について):
「日本は鎖国で世界の進歩に背を向けて眠り込んだ」というよくある考え方は、鎖国当初、18世紀半ば、19世紀前半に、それぞれどの程度当てはまるだろうか?
皆さんはどう考えますか。

教員が意識すべき大きな背景は、産業革命と市民革命、科学革命などに限りません。ほかに「17世紀の危機」「18世紀の大分岐」「東アジアの小農社会と勤勉革命」などが必須です。

宋銭の日本への流入について

「東南アジア史や海域アジア史の疑問をこのさいどうぞ」と書いたらK先生から質問をいただいた。大事な問いなので別のスレッドで書かせていただこう。といっても私は最新の研究をフォローしていないので、おかしいところや古いところがあったら、どなたか書き込んでください。

(質問)帝国の教科書の「世界史B」の教科書を読んでいて、P77の日宋貿易での博多の貿易についての問題をつくっているのですが、日宋貿易における「宋銭」の位置づけがよくわかりません。P117の「紙幣の流通と海を渡る銅銭」との関連の問題で、2点ほど質問させてください。
①宋銭が大量に中国から輸出された時期は、宋時代か、宋銭を必要としなくなった元代のどちらの時代なのか?(宋銭を使ってる時代に大量の宋銭が輸出されるということがよくわからないのですが、そういうことはありえるのでしょうか?)
②宋銭は、日宋間の貿易のみで使用されたという認識で大丈夫でしょうか?それとも、この時期に通貨として日本に広まったと考えられるのでしょうか?
ご教示いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。
(回答)これは②を先にするのがいいでしょう。意地悪で前提をあげれば、「貨幣とは歴史上では何であったか」という理屈の理解があったほうがわかりやすくなります。これについて高校政経レベルの古い理解を書き換えた人々の代表が東大の黒田明伸さん。代表作は『貨幣システムの世界史』。理論的な話に踏み込まないにしても、貨幣には(1)取引の決済や納税・給与支給の媒体、(2)商品価値や税額の尺度・基準、(3)価値保蔵(蓄蔵)手段、(4)王権など権威の象徴、といった多様な機能があり、近代経済(アダム・スミス的な国民経済)の成立以前には、同じひとつの貨幣がすべての機能を兼ね備えていたとは限らないということがあります。絹が貨幣機能をもったことは有名で、そういう商品にもなる品物が貨幣の役割を果たすと「商品貨幣」といいます。また金銀などの貴金属(場合によって銅)も、用途は貨幣を造るだけではありませんね。それらは場合によって貨幣になったり、工芸材料(銅なら大砲の材料も)などの商品になります。もうひとつ、貨幣は王権の象徴や納税手段だというところからわかるように、貨幣を必要とするのは「生産力の増大と市場経済の発展」だけではないということです(そのへんは、ポランニーなどの「経済人類学」が有名)。たとえば古代中華帝国の場合、銅銭を定着させたのは皇帝権力と巨大行政機構(納税と再分配などを現物だけではできない)でしょう。
 で、上の②の質問の答えは、日本国内での使用です。宋元時代のアジア海上貿易は、文献を見ると、基本的にお互いが欲しがる商品のバーター取引(物々交換)で決済されています。中国から見ると宋銭は「日本人が欲しがる商品」プラス重たいので「船底を安定させるためのバラスト」(他に陶磁器、米などもジャンク船のバラストとして使われた例がある)という意味をもったのだと思います。日本国内で12世紀からだと思いますが、なぜ銭が使われたかというと、中世の貫高制や埋蔵銭が示す(2)(3)の機能が思い出されますが、最初は遠隔地の荘園年貢の代わりに銭を納めるようになったと、昔教わりました(今でもこの説はOKか?)。つまり律令制では農民が、その後も公領の年貢は受領など権力と行政機構による都への運搬がなされたのでしょうが、荘園領主はそういう手が使いにくい。だれが運ぶかというときに、現物をいちいち運ばせるよりも商人に引換券(この場合は手形や紙幣でなくいちばん素朴な銭)を与えて、別に元の荘園からでなくてもいいから年貢相当額の物資を集めて納入させればよい。それに使う銭を相当額の荘園の農民から徴収した(それを運ぶのも楽ではないが、穀物や布の運搬よりは簡単)という理解です。ちなみに貨幣は、商品貨幣・貴金属貨幣などそれ自体が額面に匹敵する価値をもっていればいいですが、ペーパーマネーはもちろん金属貨幣でも、純度が低いと「信用」がえられず、市場で円滑に使われないですよね。国内に十分な銅資源があるのに朝廷や幕府が銭を造らず(造れず)、宋銭が使われた状況は、国内に適当な貨幣がない(または合っても信用できない)発展途上国などで米ドルが流通するようなものかもしれませんね。
 次に、いつ宋銭が日本に入ったかですが、この前提は宋銭の大半は(構成の偽ガネを別とすれば)北宋時代です。そこで靖康の変で北宋が滅亡した際に、宮廷の備蓄が流出したのが源だという説がありますが、反論もあるのだと思います(だれか、このへんも教えて下さい)。元も紙幣の使用によって銅銭を市場から退出させていますので、そこで使い道がなくなった銭が海外に流出したという説があるのだと思います。新安沈船もものすごい量の銭を積んでいますよね。
 ただし、12世紀末に京都の貴族が「銭の病の流行」を嘆いていますから、元より前にも相当量の宋銭が日本列島に流入していたのは間違いないでしょう。これについて最近の考古学者が、各国の埋蔵銭の調査結果から面白いことを言っています。それは東アジア・東南アジア諸国では宋銭と並行して独自貨幣も造ったり宋銭の中でも特定の種類だけを使用しており、独自の貨幣経済があったと考えられる、ところが内陸アジアは直接宋銭の流通圏に組み込まれているという差があるのだそうです。どちらにしても、宋元代が国境を越える商業活動が大発展した時代であることがまちがいありません。国家の禁令があっても、博多や東南アジア各地に渡航した中国海商(エスニックにはアラブ系・ペルシア系なども含む)は相手国で需要があればどんどん銭を持ち出したでしょう。

とりあえずみなさん、こんな感じでどうでしょうね。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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