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歴史教育を将棋・囲碁の指導にたとえると

高校教育の目標を将棋や囲碁に例えると、少なくともある部分は「アマチュア有段者を目指す」といっておかしくないと思われる。であれば「定跡」「手筋」などの定型化された考え方の助けなしで「実戦」や「実戦の棋譜の暗記」ばかりやっても駄目に決まっているのだが、高大両方の歴史教員でそれがわからない人が多い。将棋や囲碁の研修を義務づける必要があるかなw

入試について言えば、「羽生善治の得意戦法は次のどれか選べ」「以下の歴代名人の名前を正しく時代順に並べよ」「○○年度の王将戦第△局の手順を再現せよ」みたいな問題ばっかり出して、棋力のある若者が集まるだろうか。

「研究者養成」を含む大学歴史教育にも問題は多い。
・居飛車穴熊がはやれば居飛車穴熊、相懸かりがはやれば相懸かりと「みんながやっている戦法」しかやろうとせず、研究はそこでの部分的修正・精緻化をするだけで満足するプロ。
・「矢倉戦法の序盤の研究では名人にも引けを取らないが、詰め将棋のトレーニングを全然していないのでいくら序盤で有利になっても強い相手には勝てない」「おまけに腰掛け銀は木村定跡、横歩取りは沢田定跡までしか知らないのでアマチュア強豪にも勝てない」というプロ。
・マイナーな戦法や自分が不得意な戦法に出くわすと、対策を勉強するのでなくとにかく避けようとする(目下の人間がやろうとするとけなして止めさせようとする)プロ。
などに相当する人々ばかりが集まっている大学や学界で、今の時代に必要な研究や教育のためのトレーニングが有効に出来るとは思えない。

なお将棋や囲碁の「師匠」は弟子に具体的な指導はしませんが、代わりにアマチュアからトッププロまで、先輩後輩や仲間同士の鍛錬の場が切れ目なく用意されており、一芸型から万能型、トッププレイヤーからコーチや解説者まで、幅広い「プロフェッショナル」が育つように出来ています。
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ベトナム考古学の躍動

先日ちょっと書いて忙しいままに放っておいたベトナムの雑誌『考古学』2019年6号掲載の、タンロン遺跡で見つかった八角形建物遺構に関するファム・レー・フイさんとファム・ヴァン・チエウさんの共著論文。やっと読了。タンロン遺跡で発掘されたの宮殿名の同定(李太宗の時に建てられた天慶殿)についに成功しただけでなく、見つかった遺跡全体のプランとその変遷、それらに対する中国の都城モデル(複数形)の影響についての優れた見通しもいくつか示される。また、李朝の文献に出てくる「八角経蔵」について、中国・日本の文献・研究を引いてこれが建物ではないことを証明したところは、私も最近偶然に中国・日本の八角経蔵(要するに大蔵経などを収める八角形の巨大な回転式書架)と、その作り方を載せた宋代の『営造方式』という建築書についての博士論文を続けて読んだところだったので大いに納得。参考文献にミスや抜けが若干見られるがそれはご愛敬ということで、とにかく画期的内容。

他にもこの号には、故ハー・ヴァン・タン教授の業績に関するトン・チュン・ティンさんの論文、それに雲南省との国境に位置するハーザン省で発掘された陳朝寺院址で見つかったチャンパ系?遺物の報告、西村昌也さんも関わったクアンガイ省の沈船(唐末のチャウタン沈船と元代のビンチャウ沈船)の研究なども載り、読みどころが満載である。

連載:終わらない(就職)氷河期

毎日朝刊の連載「終わらない氷河期 疲弊する現場で」
おとといの第1回は「非常勤講師掛け持ち50歳」で高学歴ワーキングプアを取り上げる。紹介された例がフランス文学なので、いかにも理系や財界の人々が「こんな分野でそういう目に遭うのは自業自得だ」とけなしそうだが、日本が先進国でなく中進国である方を好むその手の意見は、みんながよってたかって温存してきた「技術畑以外では博士なんて雇えない」という古い企業や役所の体質に自分で手を貸していることも自覚してほしい。

昨日の第2回は、学校図書館や公共図書館の非正規職員の例。図書館も博物館もみんな職員がどんどん非正規化されてきた。背景にある安直な公務員叩き、なんでも民営化すればよくなるという幻想(⇒だったら国にとって一番大事な自衛隊を民営化しろ!!!)、そして「本が好きなら誰でもやれる」みたいな専門性への無理解(⇒一度ちゃんと分類や管理をするのがどんなに大変かやってみろや!!!)、さらにはこういう「周辺」を切り捨ててある「中核」部分のポストを守ろうとするお役所や学校の保守性(⇒守った人々が最後は「戦艦大和の護衛艦隊無しの沖縄出撃」的状態に追い込まれる)。

古代史は日本にしかない?

日本前近代史業界では、桃木という変な東洋史学者(世界史教育の専門家?)がよく日本史にいちゃもんをつけている、という話はちょっとは知られているようで、最近も日本史の雑誌である原稿の依頼を受けた。そこへおあつらえ向きに「どうぞ批判して下さい」と言わんばかりの雑誌が届いた。同じ問題はかつて何度も論じているのだが、相変わらずかとがっかりせざるをえない(以下への反論は大歓迎。ただし私が「対外関係史」以外の中世史やジェンダー史も含めて、世界史系の学生・研究者に日本史の理論や方法を勉強しろ勉強しろと言い続けている点も理解したうえでの反論が期待される)。

『歴史評論』最新号は「特集/馬が支えた古代の国家・社会」。「ユーラシア草原地帯の騎馬遊牧と初期遊牧民文化」(畠山禎)以外の4論文は日本史で、巻頭の「特集にあたって」も「古代史」というのは日本の古代史を指すことを当然とする書き方をしている。論文タイトルも「古代の馬の生産と地域社会」「古代の交通制度と馬」など、「歴史といったら断らない限り日本の歴史だ」という立場を明示したものがある。ちなみに英文目次では前者はHorse Production and Local Societies in Ancient Japanと日本であることを明示しているが、後者(比較のために唐代の制度も論じるがそこには古代や中世という文言がないので、タイトルの「古代」は日本のことである)はHorse in Ancient Traffic System: Focusing on Consideration of Relating Provisions in Codes and Regulationsという機械翻訳の失敗作(?)になっており、副題がひどいだけでなく全体がどこの話かわからない(T先生からはSNSで、これじゃ「古代交通制度の中の馬肉」だというご指摘もいただいた)。たぶん厚生労働省などと同じで、翻訳とはどういうことで誰のどういうチェックが必要かを十分わかっている編集部員がいないのだろう。

私は高校「歴史総合」などに関連する講演や原稿で「日本史と世界史(外国史)では単語も文法も違っており、統合はかなり困難だ」という話をよく取り上げるが、上の特集や論文のタイトルを何とも思わない日本史研究者に、歴史学や歴史教育全体のことを考える意欲を認めるのは難しい。言いたくはないが、こういう研究者(日本の歴史学界では日本史はマジョリティである)が、悪気はないままで外国史を公然と差別し二級市民扱いしていることは、悪気のない男性研究者(学界や大学での多数派)がしばしば無意識のうちにこれまでの常識を踏襲して女性を差別しているのと同じパターンではないのだろうか。

NHKと古い教科書知識とどっちが正しいか?

大阪府の公立高校特別選抜の社会科入試問題。
「日明貿易に( A )という合い札が用いられた」。Aに当てはまる漢字2文字を書きなさい。

勘合は「合い札」じゃないことを全国に放送したNHKは、抗議するか「不適切な入試問題」として報道するかどちらかをすべきだろう。
高校教員は、大学入試のために細かい暗記(無意味なだけでなく往々にして不正確)に力を費やすより、入試を通じて中学教育の古い面を是正する方に力を使ってほしい。
※大学入試が高校教員にそういう細かい暗記教育を要求しているではないかという反論は、私がそれについてどういう発言・行動しているか調べてからにしてください。

センター入試の「出題ミス」

センター世界史の「出題ミス」。
あれは「みんなが覚えている中国の王朝名(たとえば「後漢」)はだれが付けた名前か」みたいなアクティブラーニング課題に広げる方向で解決すべきだろう。
※「歴史の公式」16番「教科書(歴史叙述)に用いられる用語には史料用語(当時のor当事者の用語)と後世の研究者の用語が混在するが、どちらか一方に統一することは不可能である。複数の観点が対立するような場合には、そこでも複数の呼び名がそれぞれ使われることがある。それらの場合にどの用語・呼称を選ぶかには、執筆者の歴史観が反映する(例:「大東亜戦争」「太平洋戦争」「アジア太平洋戦争」のどれを使うか)」に当てはまる例である。

ちなみに宋までの中国王朝は、始祖の即位前の封地などの「旧国名」(中国の場合はたいてい春秋戦国期の)を王朝名にしている。したがって、時代などの限定をしないと間違われるおそれがあると言い始めたら、唐や宋も限定無しでは出題できなくなるのだ(しかしたとえば時代で限定すると、唐や宋の時期を問う設問は出せなくなる)。そして、「後漢」「後周」「北魏」「南唐」などはすべて、後世の学者(たとえば正史編纂者)が付けた名前であって、その王朝自体はすべて「漢」「周」「魏」「唐」を名乗っている(例外はそういう教養がなかったヌルハチの「後金」)。こういう「中国史の基礎知識」無しで今回の問題にツッコミを入れるのは、無教養のそしりを免れない。

それより深刻なのは、その選択肢を含んだ小問である。世界史上の文化についての大問の、パルテノン神殿を題材にした中問のなかで「制度」についての小問を出し、全くバラバラな時代・地域の制度についての選択肢を並べている。近年の世界史はこういう問題が目立つが、これは今後の教育が目ざす「使える力」に真っ向から反対する最悪の出題パターンだろう。
リード文中の固有名詞に下線を引いて、それに関係ある事項を問うならわかる(たとえば王名に下線を引き、その王の事蹟を問う)。関連事項を思い出す能力は大事である。
しかしリード文中で文のテーマとは無関係な「都市」だの「政策」だのいう普通名詞に下線を引いて古今東西なんでもありの選択肢を並べるのは、「世界史で覚えた全ての用語(3000? 4000?)を自由に思い出す能力」を問う以外の意味が見いだせない。そして、そういう能力が大学での学びや市民・国民の生活に、また専門家の研究にも必要だとは思えない。そういう出題を余儀なくされるテクニカルな事情は知っているし、私の立場上、(日本社会では)あまり敵を作るような発言はすべきでないとわかっているが、こういう出題だけはしたくない。

今回の世界史問題全体は、上の意味で深刻である。新指導要領への強烈な皮肉だろうか。「概念が大事」といってきた私も、この事態の責任を取って出家でもすべきだろうか。
各中問にことごとく普通名詞(概念)に下線を引いた出題が含まれているのは、多分「事実用語の削減」「概念重視」を意識したものだろう。しかし方向が真逆だ。
今年の出題はその普通名詞や概念(そもそも下線○○に関連して××について、とかいってずいぶん下線の語とは違った話を聞く問題がいくつもある)について、関連する事実を(古今東西すべての暗記事項の中から)尋ねるものばかりである。「概念のもとになった事例を思い出す」能力はたしかに必要だが、その多くはスマホで代替できる。もっと必要なのは、プレテストで複数あったような概念そのものの理解を問う設問である。それは現状では「教員がわかっていない」から出題しにくいのだが、普通に教えれば普通に答えられるものも少なくない。「荘園制」「幕藩制」など日本史固有の概念の多数はそうして教えられている(ただし日本史は「国民国家」など歴史の一般概念を完全無視している点が大問題)。高校・大学双方で「概念恐怖症」をなくすための、歴史というよりもっと広い「科学論」みたいな基礎教養の教育が求められるゆえんである。

センター入試には各科目の出題内容以外にも私の精神が耐えられないことがらが複数あって、監督などしているとすごく精神状態が悪くなるのだが、世界史のこのタイプの出題も、私にはダメージが大きい。

もうひとこと。今回の「魏」の問題がミスだと認められるということは、歴史においては学界の常識よりも教科書記述の有無や内容の方が正解、不正解の基準として優先されるという奇怪な事態である。そこでは、一度教科書(某社の)に載った記述は、いくら専門家が新しい知見にもとづいて訂正しようとしても、その分野の専門性を持たない人々(やその分野の専門家だが教科書や入試問題の作り方を分かってない人々)によって拒否されることがままある。けだし、理系の人々にそんな科目は役に立たないから潰せと言われても自業自得でないだろうか。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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