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変えられない日本を作る人々

古くなった受験勉強の方法で60点取るのも難しくなっているのだが、新しい勉強法に替えようと提案すると「100回入試をやって100回とも満点が確実ではないものは駄目だ」と拒否する人、分からないままで簡単な必勝法(食生活や運動習慣をを変えなくてもこれさえ飲めば短期間でダイエットができます、みたいな)だと思い込んで飛び付き最初の試験で50点が63点に上がっても「なんだこれは、騙された。100点が取れないじゃないか」と怒って捨ててしまう人、そのどちらかの人しかいない、この国?

これに上からの改革指示などの要素が加わると「やってるふり」「お先棒をかついで追随しない他人を叩く」など複雑なパターンが入り組むことになるが、「自分で決める」立場に置かれると、圧倒的多数が上の2つの群に分かれるのではないかな。
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世界史教育と専制権力への歯止め(3)

世界史教員が語句だけでなくその意味するところをしっかり教えるべき事柄の例:孫文の「五権憲法」に監察と考試がなぜあるか。それは歴代王朝のシステムをいかに受け継いでいるか。
(ヒント)近代的な意味での三権分立を保証しない(行政権がすべてを従属させる)国制のもとで、権力の腐敗や無能な人間の世襲をそれなりに防ごうと思ったらどんな仕組みがありうるか。
(発展課題)それは現在(2020年5月現在)の日本の政治状況について何を警告もしくは示唆するか。
#検察庁法改正案に抗議します。
え、これを書くのはここじゃない?

世界史教育と専制権力への歯止め(2)

民主主義は常に暴走の危険をもつ。それに対する歯止めの一つが法治主義である。いかなる多数決も法律を無視したりねじ曲げることは許されない。それを押さえつけようとする(法律を自分に自由を与え民を縛るためだけに利用する)政権は「専制」とかdictatorshipとして批判される。
(世界史探求の課題)「東洋的専制」概念について、それを「アジアの実態」「ヨーロッパ知識人が創り出した架空の他者像(なぜ必要だった?)」の両方の面から考察せよ。

世界史教育と専制権力への歯止め

専制的国家権力に対する歯止めとして、ヨーロッパや日本でソリッドな仕組みとして、インドや東南アジア・中国ではもっとゆるやかな仕組みとして歴史的に機能してきた原理に、「中間団体(社団)の法的・制度的・慣習的な自律」と「諸団体の連合・協議体としての国家」という原理がある。「ファシズム」や「社会主義国家」や「開発独裁」も、それを翼賛装置に組み替えることではじめて安定的な仕組みたりえたケースが多い。

(世界史探究・日本研究の課題)第二次大戦後現在までの日本と東アジア諸国におけるこの原理の展開と危機について、現代日本の政治情勢にも注意しながら論ぜよ。

世界のコロナウイルス対策と世界史教育

毎日新聞朝刊(シリーズ 疫病と人間)にジャレド・ダイアモンド氏の寄稿。見出しは「フィンランドは備え、米国は科学を軽んじた」。

ここで世界史教員が思い出してしっかり教えるべきこと。
アメリカというのは進化論より天地創造を信じる人が国を動かせる、そういう国だということ。

ついでに日本の読者やマスコミが目を皿にして読むべきダイアモンド氏の記述。ソ連との苦闘の経験から「準備」ができていフィンランドの果断な動きのつぎに、「アジアの国々は新型コロナへの準備はできていなかったが。抑止に成功している例が少なくない。ベトナムやシンガポールは動きが早く、スマートフォンのアプリを活用するなどして感染者や濃厚接触者の隔離・追跡を徹底した。特に経済や科学の水準が高いとは言えないベトナムが、強力で効率的な対策を講じることができているのは驚きに値する・・・」。

日本では地域ごとに扱いの大きさ(地域の格付け)があらかじめ決まっていて、東南アジアはいいことも悪いことも欧米・中韓に比べてずっと小さくしか扱わない(要するにみんなが知る必要がないと思っている)から、こういう話は(悪い面も含めて)大きく報道されることは少ない。そもそもシンガポールの生活水準が日本よりずっと高いことを知っている日本人は少ないだろう。

コロナが示す日本の位置

昨日の毎日新聞朝刊(大阪本社発行)の2面コラム「時代の風」は、藻谷浩介氏の「新型コロナの危機対応 剛さと脆さ 教訓生かせ」。日本の現金給付などのトロさと、どの欧米先進国より少ない人口あたり死者数、しかしイタリアなみの医療崩壊の懸念などを概観した後、中国・韓国・台湾やベトナム・タイの状況にもふれ、

「欧米よりは断然優秀だが、アジアの先進・中心地域には大きく後れを取っている現実は、アジア蔑視と欧米コンプレックスを併せ持つ人々に、そうした性根の刷新を促している。

よく言ってくれた。

最後は「一連の経緯を見ていると、太平洋戦争時と変わらない、日本人の剛さと脆さを感じる。個人の意識も現場の士気も高い日本社会は、「剛性」(変化に抗して変わろうとしない力)が強い。しかし情報も論理的判断力も乏しい中枢がボトルネック(制約)を放置し、対処は現場の当事者の精神力に委ねられるので、弱いところから崩れて混乱に陥りがちだ。ボトルネックを正せないがゆえに「靱性」(変化に対応し切り抜ける力)が弱いのである。欧米社会は逆に剛性がないが、事態が進んでからの靱性の強さは侮れない。それらに対し、中韓台はその両方をうまく発揮したのではないか。。。

自粛警察だの政権擁護のツイッターだのやってるひまがあったら、こういうことを考えるべきだろう。そのための手がかりや例題は、いくらでもある。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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