10勝22発で100安打って、、、

大谷翔平のMVPは確実だろう。
優勝を決める試合も15三振奪って完封。さすがに決勝点も自分のホームランとかいうことはなかったが、ほぼ漫画の世界。
10勝100安打したのは野口二郎に藤村に呉昌征と昭和10~20年代の怪物ばかり。
こういう選手が今の世の中にいるのも驚きだが、指名してアメリカに行かせずに育てたファイターズの戦略は見事のひとこと。

また、ホークスがずっこけたこともあるが、大谷君が途中で投げられなくなった際に打者に専念させたのが大反撃につながったという点では、この優勝は栗山監督の判断力の賜物と言えるだろう。

いっぽうで不甲斐ないのはマリーンズ。親会社がどうなるかという不安があるのはわかるが、今の状況では下克上どころではない。ホームランが12球団最低、盗塁のリーグで下から2番目など攻撃力の弱さは、故障者続出のせいでは決してない。若手の育成、外国人の活躍など、どこを取ってもファイターズとは差が大きい。

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ベトナムの『歴史研究』誌

国立社会科学アカデミー附属の史学院(歴史研究所)が出している月刊の権威ある学術誌。
最新号には「地域研究とグローバルスタディーズの焦点としてのベトナム:ベトナム人の東南アジア知識と新しいアプローチ」という題で、欧米の地域研究の没落とグローバルスタディーズの時代における東南アジア・ベトナムの位置に関する展望論文が載っている。著者のヴー・ドゥク・リエム氏はハノイ師範大学の先生らしい。残念ながら日本の東南アジア研究はほとんど出てこないが、ケイヒンやスメイルからギアツにジェームズ・スコット、トンチャイやリーバーマンまでかなりしっかりまとめてあって感心。欧米の視点でなく現地の視点に立った地域研究の重要性、しかしそれが国家や地域の境界線に縛られずにより多様なとらえ方を要求していることなど納得できる具議論が多く、日本の学者でもこれを読んで勉強しなければいけない人が結構いそうな気がする。

ハノイ師範大史学科はかつて、チュオン・ヒウ・クインとグエン・ドゥク・ギンという優れた土地制度史家を擁し、良質なベトナム通史も出している。最近は東南アジア史の教育の強化など、歴史学と歴史教育の枠組みを問い直す論文を、『歴史研究』『東南アジア研究』などにちょこちょこ載せている。ハノイ国家大だけでなく師範大からも目が離せないことを、あらためて感じさせられた。

ちなみに同じ号には「ジョルジュ・セデスと古代東南アジアの政治体制」「李陳時代の宰相職を論ず」といった論文も出ている。後者はしかし、「官」と「職」の関係など中国的官僚制の要点は意識していないようだ。

で、さてさてプロ野球は。ファイターズやカープのような若手の発掘・育成はどうやったらできるのだろう。

『市民のための日本史』を早く(加筆)

『市民のための世界史』に対応する『市民のための日本史』を早く出すべし、と日本史の仲間たちには言い続けてきた。
高校「歴史総合」や「日本史探究」の中身を考えるにも必要なことだと思うのだが、今日あらためてその必要性を強く感じた。

それは--まことに申し訳ないのだが--この春刊行された『大学でまなぶ日本の歴史』(吉川弘文館)を途中まで読んだためである。木村茂光先生ほか帝京大学の先生たちによるこの本の出版を知ったときは「先を越された」と思ったのだが、その後忙しくて今ごろになって読み始めたところ、「これはいかん、もっとましな教科書が必要だ」と感じた次第である。

まえがきにあたる「オリエンテーション」で、本書は章編成と各章の小見出しは各著者間で意思統一したが、各章の叙述内容は執筆者に委ねたので、文章の流れや文体などで雰囲気の違いがあるかもしれない、と言い訳しており、11人の著者に41章を分担執筆させた編者の苦労は推測できるの。『市民のための世界史』にも編集不十分な箇所はいろいろあり、批判に対して「ないものねだりをされても困る」と逆切れしたこともある。だがそれにしても、この本には「文章の流れや文体」ではすまない欠陥がある。
なおこの本は「オリエンテーション」で、すべての歴史叙述が選択の産物であることを述べ、中学・高校の多くの教科書と同様、政治的敗者や弱者の視点が弱いこと、政治的中心地でない普通の村や町がほとんど叙述されないことなどの限界も自認している一方で、用語の羅列でない詳しい事象の説明もあちこちに見られる。とはいえ、本書は大学教科書によくある「テーマ史の集合体」ではなく、高校日本史Bに近い通史型の叙述をしているように見える。在地社会や民衆の動きは比較的詳しいが、中央・全国の政治・軍事史など「上部構造」も軽視しているわけではない。

ところが、先史・古代から順番に読んだ私は、室町時代の章を読むまで、この本はいわゆる文化史を扱わない方針なのかと思っていた。たとえば奈良・平安時代の文化について、仏教を別とすると特段の記述はない。万葉集も源氏物語も出てこない。ところが室町時代や安土桃山時代、江戸時代などはそれこそ「教科書的な」、北山文化・東山文化だなんだという文化史の記述がある。これははっきり言って編集が杜撰だったのではないか。戦国時代の章で最後のページに18行分ほど余白があるが、その章では石見銀山も後期倭寇も南蛮貿易もひとことも出てこないというのも、一国史の枠組みより編集の手抜きが問題かもしれない。中世前期のところで権門体制論を紹介しながら仏教については「鎌倉新仏教」の叙述を再生産するなど、黒田俊雄先生が生き返ったら激怒しそうなところもある。

編集の問題だけでなく、対外関係史・海域史がとても軽視されていることは疑いない。10日ほど前に読んだ村井章介さんの『日本中世史4 分裂から統一へ』とはひどく対照的である。
たとえば中世の章で、琉球史や北方史の記述はない。江戸時代の章でも鎖国の対象としてはヨーロッパ人が出てくるだけで、中国人の貿易がどうなったのは書いてない。戦国時代の章には石見銀山も後期倭寇も南蛮貿易も(堺の繁栄も)出てこない一方で鉄砲とキリスト教徒の伝来は書いてあるという点と合わせ、古いタイプのヨーロッパ中心史観が温存されているともいえる。

内容の古さは、対外関係だけではない。中世・近世の章には「家」の成立と広がりの記述がない。本書には女性の著者が2人含まれているようだが、前近代についてはジェンダー視点はないようだ。これだけ研究が進んでいる気候変動などの記述も見られない。実は農業生産力の記述も少ない。江戸時代中期以降の貨幣改鋳の話はあっても(しかし田沼政権の経済政策を詳しく述べる中で南鐐二朱銀にはなぜか言及しない)古代・中世の貨幣の記述がない点に気づいたところで、「オリエンテーション」に書いてあったように、そもそも社会経済構造やその発展にも関心が薄いのかな、と感じた(階級・身分や地域・村落自治にはけっこうな関心が見られるが)。
科学技術史も特段の言及はない。「オリエンテーション」にクローチェやE・H・カーを引いて歴史が現代との対話であることを述べている点から意地悪く言えば、こうした古さはおそらく、最後の章の最後の節で掲げる現代と未来の問題が、少子高齢化という言葉だけは出てくるが、「成人男子が天下国家を論じる」視点に偏っていることと通底する。

なお悪口を重ねて恐縮だが、「オリエンテーション」には「各分野、各時代の最先端の研究者による「一番新しい「日本史」のテキスト」という自負も語られているが、かりにジェンダーのような「書いてないこと」には目をつぶるにせよ、中世仏教や戦国時代の対外関係など、書いてあることについても「一番新しい」に疑問符のつくところがある。

この本が示す歴史像と、現在構想されている歴史総合の内容(それは文科省や「政府財界」が一方的に決めて押しつけているのではない)とは、正直言ってとても大きな距離がある。これはちょっと大変だ。



田中輝美『ローカル鉄道という希望』

忙しくてちっとも記事をアップしなかったら、ログインするときに怪しまれて手間取ってしまったw
ご無沙汰している間にパリーグ首位争いが盛り上がったのはいいが、そこにいてほしかったわがマリーンズはいつもの通り勝負弱くて。。。

ところで大学の生協書籍部で、本業の歴史の本を買って伝票を書いてもらっている間に見つけた下の本を思わず購入。著者は阪大出身で、出身地のローカル新聞社に勤務したのち独立して、「ローカルジャーナリスト」として活動しているそうだ。「自分は鉄道専門家ではない」と最初に断っているので、もともとはまったく縁のない人かと思ったら、「おわりに」でしっかり、JR全線を20年かけて完乗したことを明かしている。
イメージ (13)

内容はしかし、通常の鉄オタのように「鉄道はあって当然」と無前提に考えるのではなく、逆に「ローカル鉄道=過去の遺物」と見下すでもなく、乗客増に成功した12の会社を取り上げて、アツい経営者・社員とそのアイディアや情熱を中心に、地域住民や自治体・国の立場までバランスよくまとめている。取り上げたパターンも、集客ターゲットを地域住民と観光客のどちらにするか、利用者へのサービスと収入増加のどちらから入るかなど、バランスが取れている。地域住民を巻き込む(他人事の反対語で「自分ごと」という言葉が多用される)、鉄道会社だけでなく地域が儲かるようにする、などの点は全体に共通する。「インフラまで全部保有しその維持更新もしながら黒字を出せ」という他の先進国ではとっくに時代遅れになった無理難題から制度面でローカル鉄道を救う第一歩となった「上下分離」方式の効用、災害復旧の大変さなどの問題にも目配りがされている。

歴史教育とおんなじだと痛感させられるのが、
・インフラの維持更新まで含めて黒字経営を続けなければ廃止、という高度成長期までの刷り込みが抜けない人が多いこと
・最初は、鉄道が組むべき地域の優良レストランやすぐれた物産などのことを知らず、「どうせこの田舎には売りになる品物などない」と決めつけていたこと。
・ある社のすぐれた取り組みを他地域のローカル鉄道が共有する仕組みが弱いこと(ひたちなか海浜鉄道でそのために、サマースクール「ローカル鉄道・地域づくり大学」を毎年開催しているそうだ)。

こういうところを変える取り組みはすなわち、日本を変える取り組みだということだろう。
編集に一部ずさんなところがあるのが惜しまれる。

中国人を爆笑させるジョーク?

一昨日同僚から聞いた話。
羽田空港で日本語も英語も中国語もできないベトナム人の旅客が困っていたそうな。空港側ではその日はベトナム語で案内できる職員が いなかったとか。
羽田は首都の国際空港のひとつ。ベトナムは戦略的パートナーシップとか中国を押さえるための協力とか言ってる相手。そうでなくても、去年 1年で16万人とかが訪日してくる新しいお得意さん。

同じく一昨日、中国に日本語を教えに行って帰ってきた卒業生(女性)の話。(1)語学教育の力の入れ方が中国と日本では全然違う。日本のレベルは低すぎる。(2)女性の働きやすさや子育てのしやすさが中国と日本では全然違う。日本は息苦してかなわん。
私の乏しい中国経験でもそうだろうと思う。公共の場での多言語案内システムは(実際の運用が万全とは限らない背よ)目を見張る。儒教や家父長制の縛りがないわけでは決してないだろうが、女性の活躍度は日本とは比べものにならない。

日本がこれで中国に勝つんだって、あまりに脳天気なので、相手は思わず吹くにちがいない。

「現実」のためには基本ルールを踏みにじって平気な人々?

今さらだが、国家の基本路線にかかわって選挙戦で「こうします」と積極的に議論しなかった事柄を、選挙に勝った後で「もともと言ってた」「今回も公約の隅 に書いてある」という理屈をならべて国会審議にかけること、まして強行採決することが、どうして基本的なルール違反(非立憲)じゃないんだろうか。
選挙の 勝利は国民の白紙委任を意味するという解釈が成り立つなら別だが、それじゃ投票は政権信任の儀式に過ぎない近隣の権威主義国家と同じじゃないか。特定秘密 保護法も安保法制もこの方法で押し通したアベ政権が、憲法改定もそのやり方で行くのを許したら、その国民は自分で立憲制を投げ捨てたことになる。「現実」のためには社会の基本ルールを踏みにじって平気な国民だと世界に示すことになる。それで、ルールを守らない隣国をどうして批判できるのか、わけがわからない。

プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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