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静岡歴史教育研究会のご案内

戦争とナショナリズムは、私の「歴史の公式100選」(近日公表予定)でも、重要な位置を占めている。ちなみに報告者の山田さんはいうまでもない大家だが、江田憲次さんはなつかしい同級生である。

第13回静岡歴史教育研究会のお知らせ

 歴史教育と近現代史―戦争とナショナリズムの学び方・教え方―

 報告者  山田 朗  (明治大学文学部)
       「第二次世界大戦の捉え方―日本の戦争をわかりやすく教えるために―」

      江田 憲治 (京都大学人間・環境学研究科)
       「「抵抗」のナショナリズムと「大国」のナショナリズム」

 コメント 高校教員の経験者から

 司 会  岩井 淳・戸部 健 (静岡大学人文社会科学部)

 日 時  2017年8月10日(木)14:00~18:00

 会 場  静岡大学人文A棟6F大会議室 http://www.shizuoka.ac.jp/access/map_shizuoka.html

 入 場 無 料

 《企画者より》

 今回の研究会は、「歴史教育と近現代史」という共通テーマを掲げ、授業の現場で教えるのが難しいと言われる「戦争とナショナリズム」を取り上げます。戦争は前近代からありましたが、国益を強く反映し、総力戦の形をとるのは近現代のことでした。ナショナリズムは、もちろん解放思想として機能することはありますが、同時に多くの人々を戦争に駆り立てる原動力になりました。2022年度から高校地歴の必修科目として導入される「歴史総合」は、近現代史中心の科目です。日本史と世界史の統合を目指すこの科目では、戦争やナショナリズムの扱い方が大きな課題になります。

 報告者のお一人、山田朗先生は、日本近現代の軍事史や政治史について幅広く研究されていますが、今回は、戦争体験者が圧倒的少数派となった
現在、戦争非体験者(研究者・教育者)が次の世代に、日本の戦争をわかりやすく教えるための留意点を確認し、第二次世界大戦における日本の軍
事的位置についての見方・枠組みを示していただきます。

 江田憲治先生は、中国近現代史の専門家ですが、今回はアヘン戦争後の「ナショナリズム」の実態(あるいは矛盾の諸相)を、東京で生まれた革命団体・中国同盟会に即して、検討していただきます。

 お二人から、一国史に偏らず、世界史的な視野をもって「戦争とナショナリズム」を捉える契機となる報告をしていただき、参加者の皆さんとともに「戦争とナショナリズムの学び方・教え方」を考えることができれば幸いです。みなさん、ふるってご参加ください。

 主催:静岡大学人文社会科学部学部長裁量経費「歴史教育の地域的基盤形成を促進する教材・教授方法の探究と高大連携の継続」、静岡歴史教育研究会

 問合せ先:岩井 淳(静岡大学人文社会科学部)yqs02036(a)nifty.com
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『東洋史研究』の最新号

巻頭論文のタイトルに目を引かれた。山口正晃「将軍から都督へ--都督制に対する誤解--」。

魏晋南北朝期の軍事制度の柱であり先行研究もたくさんある--結果としてかえってよくわからなくなっている--都督制について、その官制上の位置づけ(独立した官であるか否か)、それ以前からある軍事指揮官の官職「将軍」との関係、集権化と分権化というこの時期の政治史の主要課題について都督が果たした役割、という3つの点を再論したものだが、「第5章 誤解の由来」が独特である。

すなわち事実問題として都督がどう解釈されるかだけでなく、先行研究が「なぜ」間違ったのかをまとめて論じている。氏によれば、先行研究は関連する正史の職官志・百官志など主要史料の性格の変遷を(誤りが出現する理由も含めて)きちんと理解せずに、列伝などの個別記述からの帰納的推論に走っている点、研究の方向を決定した厳耕望氏以来の、分権的な「方鎮」研究との無前提な結合など、史料の扱いや歴史の視点に問題があったのだという。

魏晋南北朝期中国史に限らないが、こういう「メタ認知」への省察なしにただ史料に書かれた内容の解釈に明け暮れ、結果としてクリヤーな歴史像を示すことができない歴史学者がたくさんいる。史料の収集・検索や解読がきちんとできる研究者が、たくさん史料のある近世史や近現代史で新出史料の研究をするなら、それでもよいだろう。墓誌がどんどん出てくる唐代史もそこに入るかもしれない。しかし魏晋南北朝史のような分野で、こういう学者がおおぜい群がっても、意味のある成果がどれだけ出るだろうか。たとえばそういう研究者が日本で研究する地位や公的研究費を獲得することは、「田舎に無駄なハコモノを造る」のと同じく、「雇用の創出」にはなっても、造られたものが社会的便益を生む度合いは限りなく小さいのではないか。それならたとえば、ベトナムに来れば日本人の漢文読みにしか分析できない新出文書史料が死ぬほどある。ただしもちろん、ベトナム史と現代ベトナム語を一定程度勉強してもらわないと、そういう史料を十分使いこなすことはできないが。

というわけで毎度の結論になってしまった。こういう「歴史学の内部告発」を、「役に立たない」学問を切り捨てようとする政府や財界に媚びる行為だなどというあなた、あなたこそ首相や官房長官の仲間じゃないですか。本当の「ていねいな説明」をしてください。



今月の阪大歴教研

 大阪大学歴史教育研究会第107回例会

 日時:2017年7月15日(土)13:30~17:30

 会場:大阪大学豊中キャンパス文学研究科本館2階大会議室

 プログラム:
 『わかる・身につく 歴史学の学び方』合評会

 これまで本会例会では、本会編集の『市民のための世界史』をはじめとして、大学における歴史教育を強く意識した概説書を取り上げ、合評会を行ってきた。これまでの取り組みをふまえ、本年度の書評企画では大学の歴史教育を考える会編『わかる・身につく 歴史学の学び方』(大月書店、2016年)を取り上げる。
 学部生を主な対象とした歴史学入門書である本書は、「大学で歴史学を学ぶことの意味をどう考えるのか」という問いを「通奏低音」としつつ、“高校までの歴史の授業とは違う“という紋切り型の“大学における歴史学論”からの脱却が図られている点に特徴がある。このように意欲的な編集方針のもとで執筆された本書に学びつつ、大学における歴史教育やその高大接続について考える機会としたい。
 当日は、はじめに本書の編著者三氏より本書の狙いや編集経緯などについてお話いただき、その上で高校教員のお二人に書評をお願いする。それらをふまえ、フロアーも含めた総合討論を行い、議論を深めることとしたい。

 第1部 編著者より
  源川真希(首都大学東京教授・日本近代史)
  津野田興一(東京都立駒場高等学校教諭・世界史教育)
  割田聖史(青山学院大学准教授・西洋近代史)

 第2部 書評
  川崎一輝(同志社高校非常勤講師・日本史教育) 
  大西信行(中央大学杉並高等学校教諭・世界史教育)

一つのボールにチーム全員が群がる子供のサッカー

今朝の毎日新聞(大阪本社発行)「ひと」欄は、謝罪行脚を続ける元福島第一原発副所長・増田哲将さん(80)の紹介。

2011年の事故後に自らを「大罪の共犯者」と断じ、謝罪と鎮魂の行脚を続けているのだそうだ。
東電の体質や、自分がそれを改革するには力不足だったことなどにふれたあと、2011年の事故に言及する。
「1号機という一つのボールにチーム全員が群がる子供のサッカーのようだった」。優先順位を自ら判断し、2号機や3号機を守るために人を割り振れば、事態悪化は防げたと感じている。

私もかつて、「一つのボールに全員が群がる」ようではサッカーは勝てないという表現で、みんなが同じことをやろうとする日本の歴史学界・教育界の体質を批判したことがある。全員共通の同じ小さな事をやらせ、完璧に出来た少数の生徒だけにより大きな事や別のことに取り組むのを許すという従来の日本の教育の仕組みからは、こういう事態が必然的に生まれる。
といっても、1990年代からの教育改革が中途半端に終わった結果、現状は「小さなことを完璧に出来る生徒が激減し、大きな事や別の事を考えられる生徒は大して増えていない」という悲惨なことになっているのだと思うが、「まず基礎知識」とかいう歴史教育の発想は、以前のままである。

「1つのボールにチーム全員が群がらない状況をつくる」「ただしそれは、単にサボって立っているメンバーがいるという意味ではない」という教育は、どうやったら広げられるのだろう。

歴史学方法論講義「文化・情報・メディアの歴史」

今日の「歴史学方法論講義」は文化・情報・メディアについて。別に私の得意分野ではないのだが、学界の激変や現代社会での重要性が、社会史やグローバルヒストリーと比べても、高校教育界や主流派歴史学にあまり反映されていないので、毎年力を入れている。この領域が理解されていないことは、有権者の判断・行動に大きな影響を与える「印象操作」を、「本質をごまかす小手先の手段」としか見ない人々(素朴な「本質主義」に縛られた人々)がいつまでたっても政権を取れない状況などに、明らかに影響している。

この回の枕で毎年言うこと。「政治や経済など現実のどろどろした世界とは違った清らかな世界」として文化・芸術をとらえる見方はもはや古い、そのつもりで進学していた学生は「残念でした」になるということ。教育も同様で、政治性を帯びない教育などありえないということ。たとえば今までの世界史教科書の文化史(芸術史や宗教史を含む)を忠実に教えることは、ヨーロッパ中心主義やキリスト教中心主義、オリエンタリズムなどを学習者に刷り込むことであり、強い政治性を帯びている。

文化から離れるが、今までの世界史教育が強い政治性を帯びている例としては、(1)英米型二大政党制を政党政治の理想とすること、(2)同じく英米式の農業大規模化を人類普遍の進歩であると描くこと、などたくさんある。
(1)は「自民党vs都民ファースト」という都議選報道の様式に影響していないだろうか。自民党批判を昔社会党、今民進党支持に短絡する有権者(知識人にも多い)の心理に影響していないだろうか?
(2)に関連して高校教員の皆さん、19世紀に穀物法を廃止したイギリスが、第二次大戦後(覇権を失ったのち)にどんな農業政策をとったかご存じですか? これは今後の日本の針路にかかわる重大問題です。
教員の皆さん、これらのことを意識して世界史を教えていますか?

さらに脱線。「青年イタリア党」「青年トルコ党」とはもはや教えない。それなのになぜ「西山党(の反乱)」と教え続ける?
ポリティカルコレクトネスの面で大きな問題のある用語なんだけど(この話は10年前に何度もした)。


沖縄戦終結の日

6月23日。
「沖縄戦」は必須暗記用語かな。「鉄の暴風」は?
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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